栗食めば
秋になると、おいしい食べ物がつぎつぎとお店に並びます。
食欲の春夏秋冬なのですが、秋となるとよろこびはひとしおです。
女性は芋栗すきですよね。
先日季節限定の栗のお饅頭をいただき、とてもおいしかったです!
あと焼き芋も!
高碕ですと『鉢の木七福』さんの栗茶巾はすごいですよ~。
お抹茶といただく和菓子もつくっているお店なので、すこしお高めですが
この栗茶巾は一度食べる価値あり!です。
栗よりも栗で、差し上げるとみんな驚きます。
お店のおかげで、あげた方も鼻が高くなります。
美味しいものを食べたら、あの人にも食べさせてあげたいって思います。
逆に思い出してもらうと嬉しいなって思います。
秋になると思い出す和歌。
瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ
いづくより来りしものそ眼交にもとなかかりて安眠しなさぬ
山上憶良『万葉集』巻5 802
訳
瓜を食べると子ども達のことが自然と思い出される。栗を食べるとなおさら偲ばれる。
いったい子供というものは、どういった因縁によって私の子どもとして生まれてきたのだろう。
面影がしきりに目の前をちらついて安眠させてくれないことだ。
砂糖のない時代に、瓜や栗の自然な甘みは子供たちの大好物だったのでしょう。
自分だけが食べていると、子供たちにも食べさせてあげたいと思う。
子供たちの喜ぶ顔を思い浮かべながら、食べているのでしょう。
この歌は神亀5年(728年)7月21日に詠まれたとそうです。
1300年前の人の思いも、今の時代と変わらないですね。
そして、最後にこう締めくくっています。
銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも
訳
銀も金も宝石もそれらより勝っている子どもという宝にどうしたら及ぶだろうか。
いや及ぶはずがない。
この歌を詠んだ時、億良は69才。貴族で歌人でした。
自分の子供というより、社会全体の子供への思いを込めて詠んだのでしょう。
子供への愛情と、愛するが故の執着という困った面も含んでいるのがリアルです。
わたしにとっては金銀よりも子供は大切なものだという億良の主張は、
子供の尊さを訴えかけてきます。
和歌、短歌。
鉛筆と紙(今はスマホだけでもOK)があればできます。
いろんな思いを五七五七七に載せて書くと、すっきりしたり、歌を通して自分が見えたりします。
よかったら気軽に詠んでみてください。日記かわりもOKです。